先日息子と一緒に吉田松陰の生涯について調べ、年表を書き出しました。こうして書き出してみると、また松蔭の行動など前後関係とともにわかりやすくなります。
吉田松陰の生涯 年表
年号 | 松蔭の行動 |
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1830年 | 松蔭生まれる |
1834年 | 4歳の時、吉田家の養子になる |
1839年 | 藩校明倫館に出勤し、実学を講義する |
1842年 | 玉木文之進が松下村塾を興す |
1850年 | 遊学のため、九州に向かう |
1851年 | 江戸に向かい、佐久間象山に学ぶ。 通行手形が届かなかったが、約束を守るために脱藩の形で、東北遊歴に出発する。 |
1852年 | 江戸に帰る。藩の命令で国に帰る。脱藩の罪で士籍・家禄を剥奪される。 |
1853年 | 江戸に入る。佐久間象山に洋学を学ぶ。長崎にロシア艦に乗りに行ったが、間に合わなかった。 |
1854年 | 下田でアメリカのペリー艦に乗ろうとしたが、乗船を拒否され失敗に終わる。自首して牢屋に入れられる。後、萩の野山獄に移される。 |
1855年 | 獄中で孟子の講義を始める。 牢屋を出て杉家で孟子の講義を始める。 |
1856年 | 松下村塾の名で、講義を始める。 |
1858年 | 老中暗殺計画で再入獄。 |
1859年 | 江戸に移され、処刑される。 |
好きな吉田松陰の言葉
志を立てるためには、人と異なることを恐れてはならない。
世俗の意見に惑わされてもいけない。
死んだ後の業苦を思い煩うな。
また、目前の安楽は一時しのぎと知れ。
百年の時は一瞬にすぎない。
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように。
人と異なることを恐れるな、世間(他人)の意見に惑わされるな、安楽は一時しのぎなど耳の痛い話。素餐することなく日々を過ごしていきたいです。
写真は吉田松陰が孟子の講義をした際の話をまとめている「講孟余話」を読んでいるときの写真。
もう一つ吉田松陰の言葉で好きな言葉は「四目を明にし、四聡に達す、これ古聖の明訓なり」です。「四目を明にし、・・・」の記事へ
柔道の創始者、嘉納治五郎氏も教育の大切さを説かれています。
(嘉納治五郎氏の記事へ)