この記事タイトルは能楽で有名な世阿弥の言葉で有名なものです。
稽古は強かれ、情識はなかれ
何事にもしっかりとした準備、練習が大切であるということ。ただ練習するだけでなく、その時代の流れなど新しい工夫なども取り入れながら行うことも必要だと思います。「ただひたすら」繰り返し行うことも大切ですが、それだけでなくいろいろな工夫を凝らしながら続けていくことも必要です。工夫や試みを入れながらの日々の稽古の積み重ねを大切にといこと。
情識とは禅の言葉でもあるようですが、かたくなな凝り固まった心という意味があるそうです。一箇所にとどまらない、慢心せずに新しいことに挑戦していかなければいけないということ。人間とは弱いもので人に褒められたりするとどうしても自惚れてしまったり、慢心してしまうことがあります。気をつけたいところです。
愚かなる心よと見る心より、ほかには何の玉をみましや
これは世阿弥が娘婿の金春禅竹に宛てた手紙に記載されている文で、意味は、
自分が愚かであると自省する心以外に、貴重な宝とみることができるものなどありましょうか。(世阿弥 日本人の心の言葉 西野春雄、伊海孝充著)
ということで、常に「まだまだ」と自分は未熟であるという気持ちを持つことの重要性をいっています。
また、人間国宝の狂言師山本東次郎さんも慢心しないよう、常に戒めていたと著書にもありました。先代の山本東次郎氏曰く、慢心すると折り目のようにきっちりと残ってしまうため、慢心することがあってはならないと指導されていたようです。自らも気を付けたい言葉です。
(大蔵流狂言山本家HPへ)
そして今でもよく使われる言葉、
上手は下手の手本、下手は上手の手本なりと工夫すべし。
とも言われており、どんな環境でも学べることはあると。上手だからと優越感に浸ることなく、いい点悪い点をみながら、自分の技術につなげていく姿勢、常の心構え、平常時にどのように心がけて過ごしているかを気を付けたいですね。
平常心是道
まさしくこれです。この軸ですが、先日法要でお寺に行った際、そのお寺の待合に飾ってあった言葉です。結局は平常時の心構えができていなければ、いざという時に平常心ではいれないものです。
※平常心是道と言う言葉は、趙州和尚の師、南泉禅師が言った言葉になります。