駿府城の中堀の通りに静岡学問所の碑があります。ちょうど静岡県庁庁舎の隣にある、静岡県地方法務局前に位置します。

ここ静岡は、明治維新当時には日本全国の教育の中心としてすばらしい多くの人材がこの静岡学問所で教育受け、全国に出て行かれたようです。

この静岡学問所の教授の一人は碑にも記載がありますが、向山黄村氏で、江戸時代幕末からの幕臣で、駿府または府中と言う地名を静岡という地名に命名したのはこの人のようです。府中というのは不忠(忠臣でない)という言葉と同じ発音のため、他の名前に変えるという話もあったようです。

教授陣の二人目の中村正直氏は今で言う日本で一番の優秀な人が集まる、東京大学のような昌平坂学問所で佐藤一斎から儒教(おそらく陽明学も)を学んでいる方です。(佐藤一斎は言志四録で有名です)

三人目の津田真道氏は佐久間象山に兵学を学んでおり、明六社という団体(欧米の思想の紹介や普及をしていたようです)の創始者メンバーの一人で、福澤諭吉や上記の中村正直、勝海舟もメンバーにいました。

四人目の外山正一氏は勝海舟からイギリス留学などの推薦を受けるほどの方で、語学力が非常に堪能の方であったようです。(勝海舟の座右の銘の記事へ)

こういった明治時代に日本を動かしていた人がここ静岡で学問所の教授をし、多くの人材を教育していたことは、静岡の地のすばらしさを感じました。

静岡学問所

当時、日本の最高水準の教育機関があったのです。

 

静岡学問所から駿府城中堀を南へ下っていくと、一際高い静岡県警ビルが右手に見えてきます。21階には展望フロアがあり、晴れた日には駿河湾から富士山まで、すばらしい景色が見られます。

その静岡県警ビル前の街灯を撮影。

静岡県警ビル前の街灯

 

さらに堀沿いには、木で作られたベンチがあり、晴れた日などはゆっくりと日向ぼっこをしながら、くつろぐことができます。

駿府城中堀のベンチ