采菊東籬下 悠然見南山

これは中国の5世紀の詩人陶淵明の作です。陶淵明の詩でほかに有名なものに、「歳月人を待たず・・」という詩があります。よく茶会などでも12月の師走の時期に軸として飾ってあります。

今回の「采菊東籬下 悠然見南山」は道の背いた政府の役人や権力がはびこっているのに飽き飽きし、田舎に帰っていったときに詠ったものです。
采菊東籬下悠然見南山

 

全文はもう少し長く、

「采菊東籬下 悠然見南山 山気日夕佳 飛鳥相共還 此中有真理 欲弁巳忘言」

東の垣根の下で菊を採り、悠然とした気持ちで南の山を眺める、山が夕日に美しく染まり、鳥はみんな連れ立って帰っていく。この自然の中に本当の真理が隠れている。これは言葉では言い表せない。

という意味だそうです。

この詩をもとに明治維新の偉人 高杉晋作が漢詩をつくっています。

「繁文為累古猶今 今古誰能識道深 采菊采薇真的意 人間萬事只其心」

意味は「意味は昔も今も変わりなく、山と詰まれる理はあれど、今も昔も道を識る、事の深きを誰か知る。采菊采薇の歌のもつ本当の意味はすべて、人のただその心に尽きる。」

道をはずれた生き方ではなく、道に従っていくこと、知識を得ることのみが学問ではないということです。

柔道の創始者 嘉納治五郎の言われている順道制勝:道に順って勝ちを制めなければ意味がない。ということ。そこに真理があるはずです。

(嘉納治五郎の順道制勝の記事へ)

日常の振る舞い、行動において意識をしていきたいことです。