岩佐一亭という人がいます。江戸時代の幕末に飛騨高山で生まれ、書道の達人として知られている人です。山岡鉄舟が飛騨高山にいた幼少のころ、書道を教えた人として知っている人も多いのではないでしょうか。
この岩佐一亭と言う人ですが、毎日「一」と言う字を納得できるような「一」が書けるようになるまで、3年間毎日書いていたという逸話があります。本当に昔の人の「根気と努力」には頭が下がります。まだまだ負けてはいられません。

岩佐一亭は書道の達人でありながら、関流の和算を百瀬歌鳥に学び、和算の免許も取得して、弟子も取っていたようです。(和算とは日本独自に発展した数学のようです)
他に小栗流武術を高木久茂に、田宮流居合術を吉村吉右衛門に学び、書道以外の諸芸においても達人だったようです。

山岡鉄舟が一亭に書を習った理由は、鉄舟が高山にいた頃、岩佐一亭の「松声」の二文字を絹本にしたものを、仁孝天皇に上覧され、一亭の名声が上がり、山岡鉄舟の父が鉄舟を入門させたようです。

山岡鉄舟に教えている際は、鉄舟が一亭のところに来るとまず、竹刀での立会いから始まり、その後別室の離れで書の教授をうけていたようです。鉄舟は書を習う際は、一亭を正座に自分は下座に座し、師の履物をそろえたりなど、礼節が正しかったと岩佐家の伝記に残されています。

「おもへども たる事しれば おのづから みのたからと 身にぞしたがふ」

これは岩佐一亭の師匠「八賀屋仁助」が書いた歌です。
足るを知ることが身の宝ということでしょうか。幸せはそこにあり、知足がもと。
岩佐一亭の人柄は伝記によると

「一亭は仏道に帰依し、安心立命の道を明らかにして、殊に、親に仕え孝愛の情厚く、人呼んで「仏市右衛門」と言い、その名四方に普きため、其の門下に入り子弟の誓を結ぶ人多かりし」

と記載されているそうです。

積善以為宝 岩佐一亭
(積善を以って宝と為す)

私がこの岩佐一亭に興味を持ったのは、もともとは山岡鉄舟から入ってきたのですが、鉄舟の本を読んだ際に出てくる岩佐一亭の書に対する姿勢、「一」の字を書き続けた根気強さ、道に対する真摯な姿勢に非常に感銘を受けたせいです。きちんと身を清めてから書道を教えていたようです。(習字ではなく書道である)
これほどまでに一つのことに打ち込んでいく姿勢、心には大変勉強になります。